私たちがパリにいるときは、
パリ郊外にある山小屋に泊まっている。
周りに山はないけれど、小さな木造の小屋で、
木に囲まれた敷地内にトレーラーと一緒にポツンと建っている、
一見するとかなり怪しい風貌の家。
小さいながらも内部の設備は充実しており、
かなり快適な暮らしながら、
いままでなかったものといえば電話線。
今後、頻繁にこの山小屋を使うことになるため、
インターネットを使えるよう、このたび電話線を引くことにした。
何事も自分たちでやるフランスのこと、
小屋まで電話線を引いてもらうためには、
敷地内の邪魔な木を切らなくてはいけない。
そこでFanFanがチェーンソーを使って邪魔な部分の枝を切り、
ついでに伸びすぎた部分の枝も切り揃え、
電話線を引くお兄ちゃんが来た時には準備万端。
無事に電話線が小屋まで届き、インターネットが使えるようになった。
めでたし、めでたし!
と、木こり仕事はそこでは終わらず、
切った木は無駄なく、
ストーブ用の薪に加工しなくてはならないのです。
そういえば先日、東日本大地震の数日後、
ノルマンディーの家でも停電があった。
その時、私はノートPCで写真の整理をしていて、
ふと、バッテリーマークが出ていることに気がつき、
電気が来てないことがわかった。
しばらくしたら直るだろうと思いながら、
PCのバッテリーを使い切ったけれど、まだ電気が来ない。
じわじわ外が暗くなってきたから、
慌ててストーブの中にあった灰をきれいにし、
薪ストーブに火を入れることにした。
火をつけてから、さて、と思っていると、
電力会社のお兄ちゃんが、
「故障のため、ここら辺一帯が停電です。1~2時間で直るでしょう」
と、家まで伝えに来た。
その時点で時刻は夏時間前の夜7時。
すでに家の中は暗闇が内側からじわじわと支配しつつあった。
いつもならば夕飯の支度に取り掛かるところだけれど、
ライトを持ちながら料理するのもいやだし、と、
ぼんやりとストーブの火を眺めていた。
その頃には家の中でもっとも明るい場所は、
ストーブの前しかなかったのだ。
地震があるわけでもないし、
もちろん数時間の停電だということはわかっているのだけれど、
慣れていない暗闇というのはそれだけで不安が募る。
ストーブの前から動くこともできず、まさに成す術もなく、
FanFanが帰ってくるのを、ゆらゆら揺れる炎を見つめながら、
暗闇の中、ただひたすら待っていた。
結局、停電が直っていたのは翌朝のこと。
その夜はライトを片手に家の中を移動し、
ストーブの上で昨晩の残りの子羊のローストと瓶詰めの豆の水煮を一緒に温め、
ストーブの横でろうそくを灯して夕飯を食べた。
いつもとは違う夕食スタイルに、
「キャンプみたい」と気分は落ち着いたけれど、
それもみんな薪ストーブがあったから。
明かりと暖房、そして調理器具にもなる薪ストーブがあることに感謝したものだった。
今、山小屋の庭でストーブ用に切り揃えた薪を、
よいしょ、よいしょと集めていると、とてもよく分かる。
あの薪ストーブの温かさは、自然の恩恵なのだ。
でも、切った木を、
太い枝は切り揃えて薪用にまとめ、
細い枝は葉っぱと一緒に燃やす、
という一連の作業は決して楽ではない。
しかも、大変な思いをして集めた薪は、
あっという間に燃えてしまうもの。
もちろん、都会暮らしでは難しい方法だけれど、
電気がない、ガスがない、石油がない、
と上からの通達でお手上げになるよりは、
自分でできる手段というものがあったほうがいい。
そんな時に助けてくれるのは、身近にある自然なのではないかと思う。
私たちの遠い祖先が自然から知恵を得、
火の使用によって暗闇を明るくしたように。
でも最悪の時に、自然さえもなくなっていたらと思うと、ぞっとする。
極端な話だけれど、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のアメリカ映画、
「トータル・リコール」で支配者に酸素の供給をコントロールされた火星が出てくる。
もしかしたら、本当に酸素までも供給される時代がやってくることがあるかもしれない。
そうなったら、私たちは息をする自由さえもなくなってしまうということだろう。
ということを考えながら、
せっせとストーブ用の薪集めに励む。
今はまだ、身近に助けてくれる自然があるということを、
言い聞かせながら。
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by yokosakamaki
| 2011-03-30 01:21
| うちの山小屋