続・“おんどり”から、さて
久しぶりに晴れた10月頭。
いよいよ決行の日がやってきました。
「何の?」って?
これから“おんどり”を“絞める”のです。
でも、誤解のないように言っておきますが、
卵を得るために雄鶏が“邪魔”だからというわけではありません。
美味しい時期にそのお肉をいただこうということです。
“ひよこ”としてうちにやってきて7ヶ月。
年を取るにつれて肉は硬くなっていきますから、
そろそろリミット。
暑くもなく、寒くもない、穏やかな秋の日。
平和すぎるくらいの静かな朝に、
私とFanFanは意を決して鶏小屋に向かったのでした。
朝から出動する2人組を見て、
何事が始まるのかと鶏小屋の周りをウロウロするパシャとプリュム。
ちなみにうちの犬、アカントは何をしでかすのかわからないので、
自分の檻の中でおとなしく待機です。
FanFanは棒のついた網で、
まずは最初の1羽をキャッチ。
あんなに獰猛だった雄鶏ながら、
取り押さえられると暴れもせず、されるがまま。
さらに足を捕まえて逆さにし、
鶏小屋の外の木にそのままの姿勢で吊るします。
もちろん、私は鶏の屠殺を見るのは生まれて初めて。
FanFanは慣れたもので、
作業をしながら説明してくれる。
「こうして雄鶏の嘴を開け、
舌の根元の頚動脈を切って血を出すんだ」
と、吊るされていた雄鶏が、
舌を切られて我に返ったように、
突然、羽根を広げて暴れだした!
一体、どうするのかと眺めていた私は、
口から血を流しながら雄鶏がもがくのを見て、
すごく不快になり、何だか腹が立ってきた。
「もっと即死させる方法はないわけ!」
「これが一般的なやり方なんだよ。
先に頭を打って気絶させるという方法もあるみたいだけど」
私に噛み付かれたFanFanは困ったように説明。
頭を打つって言っても、小さな頭の鶏のこと。
一発でうまくいくかも怪しい。
2羽目は首の頚動脈を切ってみたものの、
状況はまったく変わらず。
やはり最初のやり方で進めることに。
その後は2人、ひたすらもくもくと作業を続ける。
FanFanが雄鶏を網で捕らえると、
私は鶏小屋の2つある扉を開け閉めして、
彼がスムーズに外に出られるように誘導。
雄鶏を木に吊るし、舌を切って血を出す。
次々と雄鶏を吊るしては、
無言でてきぱきと作業をこなしてゆく。
まるで熟練したプロの殺し屋のように、
無慈悲に、冷酷に。
次に絞める雄鶏がいるときは、
吊るしたらすぐ、鶏小屋に雄鶏をつかまえに戻るため、
雄鶏がもがく姿を見ずに済む。
それでも、6羽目でいったん次の作業段階に移ろうという時、
最後の雄鶏が息絶えるのを待たなくてはいけなかった。
口から血を流し、最初はバタバタと羽根を動かしていたと思ったら、
それが痙攣のような小さな動きに変わり、
そしてまったく動かなくなる雄鶏。
私たちは何も言わずに並んで、
ぼんやりとその様子を見守った。
そう、これが“命をいただく”ということ。
私たちはこの残酷な行為を経て初めて、
食べ物が口にできるのだ。
ほとんどの作業をFanFanがやり、
ただのアシスタントだった私も、
一度だけ生きている雄鶏を手に持つことに。
ずしりと重い体からは息遣いが、
手に持った頑丈な足からは温かな体温がじんわり感じられた。
魚を獲った時とは異なる罪悪感。
でも魚介だって、私たちとは違う生き物というだけで、
その“命”をもらっていることに変わりはない。
野菜や果物だって、“生”を奪うと考えれば、
残酷なのは同じこと。
そもそも生きるということは、残酷なことなのだと思う。
私たちは他者の“生”をもらってしか生きられない。
その残酷さが現代の生活では、
プラスチックのトレーに入れられて、
クリーンに包装されているだけにすぎない。
まるで血なんて一滴も、流れていないかのように。
人間だって獲物を獲る動物たちとまったく変わりはないのだ。
雄鶏を絞める作業はまだ続きます。
次は、羽根をむしらなくてはいけません。
鍋に湯を沸かして、雄鶏を丸ごと入れ、
毛穴を開かせる。
こうすると、面白いくらい羽根が抜けるのです。
これが、私が一番気に入った作業。
するとびっくり、
まさにプラスチックトレーの上で見られる、
あの鳥肌が出てくるではありませんか。
本物の鶏とトレーの上の鶏肉の間に差がありすぎて、
スーパーではもっと特殊なことをしているのかと思っていたら、
やっぱりアレは羽根をむしっただけのちゃんとした鶏肉だったのね。
残った羽根はバーナーであぶってさらに取ります。
続いて首の脇にある餌を貯めておく素嚢を取る。
これが雄鶏によって大きさはさまざまで、
握りこぶしほどに餌でパンパンに膨らんだものもありました。
まさに貯蓄家ですな。
その後、取り出すのは内臓。
もちろん、さっきまで生きていた雄鶏たち。
内臓はまだまだ温かい。
でもここまでくれば、いつもの鶏肉の様相なので、
あまりびびることもなく。
ただ、お腹の中にガスが溜まっているのが時々いて、
やたらと臭い雄鶏もいました。
こうして絞めた雄鶏は計13羽。
かなり巨大だと思っていたら、
一番大きいものでなんと4.7kg。
すべてをうちの大きな冷凍庫に入れたら、
扉が閉まらなくなるくらいパンパンに。
これらの巨大な鶏肉たちは年末に、
うちに夕食に来た人々と分かち合い、
そして最大の4.7kgのものは、
クリスマスディナーの際に総勢10名で平らげました。
その肉の旨さと言ったら!
外を駆け回っていただけあって、
身は引き締まり、まさに滋味に溢れた味わい。
もちろん、大変な思いをして絞めたのですから、
思い入れもひとしお。
料理を美味しくするのは、
その周りの逸話だって大切な調味料ですからね。
さらには、うちの肉食は人間だけではありません。
骨に残った肉は猫たちが、
最後の骨はアカントが、
何一つ無駄なく、みんなですべてをいただきました。
もちろん、まだまだある冷凍された巨大な鶏肉たちは、
今年も私たちのお腹を幸せで満たしてくれることでしょう。
by yokosakamaki
| 2013-02-11 05:37
| うちの鶏物語