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ノルマンディーの風

家猫か、外猫か

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         ノルマンディーの田舎の人々は、
         私たちがパリに子猫を連れて行くと話すと、
         「狭いアパルトマン暮らしなんて、猫がかわいそうだ」
         と言う人もいた。

         猫を飼っていても、飼い猫に避妊手術もせず、
         生まれたばかりの子猫を殺してしまう人だっているのが田舎。
         自然の中で伸び伸びと暮らしていたって、
         ひどい人間に出会えば、やっぱり猫がかわいそうだ。
         
         私は、子猫たちが生まれる前は、猫というものは、
         お腹が空いた時や甘えたい時だけ、猫なで声でやってくる、
         もっとクールでドライな生き物だと思っていた。

         でも、子猫たちを見ていると、
         彼らには本当に“愛”が必要だということがとてもよく分かる。

         子猫たちをパリの里親に連れて行く前、
         小さな山小屋で一緒に過ごすのが、私たちの別れの儀式になった。
         初めてミヌー母さんから離され、第2の母さんしかいなくなった、
         子猫たちの甘えようといったら、
         愛されたくってどうにも止まらない!といった感じ。
          
         私の膝の上にのり、のどをゴ~ロゴロ、ゴ~ロゴロ、
         両前足をフ~ミフミ、フ~ミフミと、いつまでもし続ける。
         私の目をじっと見つめ、まるで“愛をください”と身悶えているよう。

         猫がのどを鳴らす音は、ミヌーが授乳をしているときに初めて聞いた。
         サロン中に響き渡る不思議な音に、
         私は子猫たちが母乳を吸い込む音だと思い、
         さすがに6匹もいるとすごいなと感心して聞いていた。

         その後、私の膝の上にのっている時でも聞こえるようになり、
         初めてそれが“猫がのどを鳴らす音”だということが分かった。
         したがって、うちの子猫たちは6匹とも、
         ものすごい音を立ててのどを鳴らすのです。

         家の中に閉じ込められ、全身で甘えてくる子猫との山小屋暮らしは、
         私にとっても初めてのこと。
         FanFanには内緒で、ベッドの上で一緒に昼寝をしたことも。
         私の顔のすぐ側でひっくり返って寝る子猫との親密さと言ったら!
         まるで自分まで猫になったみたい。
         限られた空間内で過ごす、
         それはそれは濃厚で凝縮した子猫との日々だったわけです。

         でも、いくら親しくなったところで、
         山小屋暮らしは私と子猫との別れの儀式。
         そして皮肉なことに、うちに残った子猫、プリュムとクロクロとは、
         山小屋に連れて行くことがない限り、経験しえない親密さでも。

         そして、この濃厚な関係が、
         家の中で猫を飼うと言うことなのだとつくづく思った。

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         ノルマンディーの家は、住人しか通らない細い道に面していて、
         道路沿いは大きな門と2メートル以上ある高い石塀があり、
         その左右を家と納屋で囲んだ中庭がある。
         その後ろは果樹園と馬たちがいる牧草地。
         隣の家は別荘のため、たまにしか人がおらず、
         反対の隣は畑になっているという、本当に田舎。

         したがって、子猫たちが外で暮らすということができる環境にあるということ。
         そもそもミヌー母さんは外で暮らしている猫だし、
         母猫と一緒に外で暮らすというのは子猫たちにとって当然のことだとも思う。

         ミヌー母さんは私が子猫たちに開放したサロンに、
         授乳しに来ては、終わるとすぐに外へ出て行ってしまう。
         子猫たちは大きくなるにつれて、
         サロンに勝手にやって来ては、勝手に出て行くようになった。
         日によって来ない子猫だっていた。
         
         確実に外へ出て行ってしまうのは、
         獲物をくわえたミヌー母さんの、みんなを呼ぶ鳴き声がする時。
         その時は、いくら私の膝の上で寝ていても、
         みんな一斉にあっという間にいなくなる。
         そして、独り残された私はちょっぴり寂しい思いをしたのです。

         外の世界で芝生の上を駆け巡り、兄弟たちとゴロゴロ転がって取っ組み合い、
         木をグイグイ登る子猫たちは、本当に楽しそう。
         家の中でテーブルに上っちゃダメ、植木鉢に上っちゃダメ、
         と言われて暮らすより、どんなに自由か。

         でも自由であるということは、リスクがあるということでも。
         長男のように病気になってしまうこともあるし、
         ある日、突然姿を消してしまうことだってあるでしょう。

         それでも、自由を与えられる環境にあるのならば、
         私はやっぱり猫たちに自由を与えてあげたいと思うのです。
         そして、それは週の半分をパリで暮らす、
         私たちの自由でもあるのだから。
        
         うちの犬のアカントは猫のようには放ってはおけないので、
         毎週、FanFanの実家に連れて行き、面倒を見てもらう。
         でも猫たちは、納屋にたっぷり食料を置いておけば、時々狩りをして楽しみつつ、
         人間がいなくても好き勝手に暮らしていくことでしょう。
         人類が滅亡しても生き延びることができるのは猫、とも友達が言っていた。 

         家の中でも、自然の中でも、
         どこでも適応して生きていけるのが猫なのだと思う。
         そこに“愛”を与えてくれる人間がいれば、
         猫は十分に幸せに生きられるのではないでしょうか。 
         そして猫たちも愛をもらった分、
         私たちに愛をちゃ~んと返してくれるものだとも思うのです。       


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by yokosakamaki | 2011-10-08 18:52 | うちの猫物語