ノルマンディーの風

ミヌー母さんのこと

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            ミヌー母さんがいなくなった時は、
            プリュムの時とは違ってすぐに、
            「死んじゃったんだな」と思った。

            生まれてからず~っと外で暮らしていて、
            外慣れしたミヌーが帰って来ないとは余程のことがあったに違いない。
            もちろん、今までも何日か帰って来ないことはあったけれど、
            ミヌーも子猫たちと一緒に家の中に入るようになってから
            最近は不在にすることもなかった。

            プリュムがいなくなって1年以上が経つけれど、
            さすがに猫2匹を失うとは、
            正直に言って悲しいというよりも、腹立たしい気分だった。

            「猫が外で自由に暮らせるパラダイスはないのか」とうんざりした。
            世の中の多くの飼い猫同様に、家の中に閉じ込めて飼うしかないのかと。
            もちろん、都会で猫を飼うには家から出さない方がいいのは分かる。
            でも我が家のように田舎で、猫が散歩できる敷地がある環境にありながら、
            猫を失わないために家の中だけで飼うことは、
            私にはやっぱり違うと思う。

            死なないために生きるのではなく、
            生きるために生きるのだから。

            そう考えると、
            死のない世界は果たしてパラダイスなのだろうか。

            単純に考えて、
            もしこの世の中に「死」というものがなくなったら、
            同時に「生」もなくなるだろう。
            何も死なないのに生き物が増え続けていくことは、
            どう考えても不可能というもの。
            生があるところには、必ず死がある。
            季節が巡るように、命が交代することで、
            悲しみがあり、喜びがあり、私たちは生きていけるのだと思う。
            悲しみはなくとも喜びもない、
            終わりなく続くモノトーンな不老不死の世界など、
            私にはまっぴらだ。

            となると、死と言うものは、
            本当にそんなに酷いものなのだろうか。

            ミヌーに関していえば、生後間もない子猫の時に
            家から離れたところにある牧草地へと続く未舗装の田舎道で、
            ファンファンに姉妹猫とともに拾われてから我が家の納屋の住猫に。
            少なくとも4回のお産を経験し、私が来てから最後の出産をして避妊。
            その後の約3年は、家と外を自由に出入りしながら、
            自分の子猫たちと一緒に暮らして余生を送った。

            ファンファンの心もとない記憶を辿れば、
            ミヌーは10歳にはなっていたとのこと。
            今や飼い猫は長生きする時代で、
            10年という寿命は長くないかもしれない。
            でも、私が勝手に考えるならば、
            ミヌーの猫生は決して悪いものではなかったと思う。

            そして、ミヌーがいなくなった後でも、
            彼女が産んだ子猫であるクロクロとパシャが私の傍にいることを思うと、
            心の空洞を満たす以上の温かい気持ちでいっぱいになる。
            「命を繋ぐ」という生き物としての役割を、
            ミヌーは立派に果たして逝ったのだ。

            ありがとう。

            私は今日もクロクロとパシャを見ながら、
            いなくなったミヌーを懐かしく思い出す。

            私たちはこれからも生きていきます。



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# by yokosakamaki | 2018-01-29 01:17 | うちの猫物語